公開日 2020年01月09日
photo by Masataka Ishida
2004年の「<東京の夏>音楽祭」から15年ぶりの来日でしたね。
今回の日本での経験は、自分自身にとても強い印象を残したと思います。「100チェロ」には子どもから学生、アマチュアやプロの演奏家までさまざまなレベルの方々が参加してくださいました。日本に初めてこのプロジェクトを持って来られたおかげで、新しい友人も増えました。これは本当に嬉しいことです。また、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する機会(藤岡幸夫指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団との協演)もありました。バロック音楽の演奏に加えて即興演奏や自作自演、「100チェロ」もやる“クレイジーな”自分のクリエイティヴな部分を出すことができたのは、本当に良かったと思います。
「100チェロ」の演奏曲目は実に多彩ですね。今回はヘンデルもあればブラームス、ワーグナーもあり、南イタリアのタランテッラにピンク・フロイド、にニルヴァーナ、そしてソッリマさんの曲などが並びました。音楽と音楽、人と人を隔てる壁や境界線がなく、全てが共存し、繋がっている世界―そんなイメージを持ちました。ソッリマさんはこの「100チェロ」の活動を通じて多くの人々を巻き込み、繋げる壮大なストーリーの担い手でいらっしゃるように見えました。
これまではそのように考えてはいなかったけれども、実際そうかもしれないですね。「100チェロ」にはヴァイオレンスはなく、参加する皆が、音楽が、そこに自由に平和に存在しているのです。
地中海に浮かぶシチリア島最大の港町でありシチリア州の州都でもあるのが、ソッリマさんが生まれ育った街、パレルモです。年齢も性別も国籍も、チェロの演奏歴もスキルもさまざまな120人もの参加者と作り上げた今回の「100チェロ」は、まさに多文化の坩堝であるパレルモをも彷彿とさせました。クラシック、ロック、ジャズ、ポップス、中東から地中海、アフリカに及ぶ民族音楽など、さまざまな音楽が自然に融合しているようなソッリマさんの音楽にも相通じるものをこの街に感じます。
パレルモは、あらゆる文化が融合している多文化都市の完璧な一例といえるでしょう。街中に見られる建築、食べるものから人の名前に至るまで、さまざまな文化の影響が見られます。私自身の名前もアラブ、ユダヤ系、スペイン、その他さまざまなルーツを持っているし、同じ両親から生まれた兄弟姉妹でも、髪や瞳の色が違ったりすることだってあります。これらがパレルモ、延いてはシチリアならではの文化のパワーに繋がっているのです。私はこの多文化のパワーを守りたい。いかに守るか。自分の場合は音楽―例えばバルカン半島や周辺諸国の影響もみられる民俗音楽(folk music)―をたどることによってそれを達したいと考えています。
今はミラノとパレルモ半々に住んでいますが、パレルモに帰るたびに、自分がまるで観光客になったように思えます。パレルモはローマと同じように、新しい建築物ができる一方で、古い時代のものが今もなお新たに発掘されたりするのですから。シチリアは地中海の真ん中に位置するという地理的な条件もあり、古来よりアラブ人、ユダヤ人、ノルマン人にアフリカ人などさまざまな民族がこの島を行き交いました。それぞれの多様な文化が根づいてきた、まさに「文明の十字路」です。「パレルモの土を掘り起こせば、土の中にさまざまな文化が入り混じっている」と比喩的に言われるわけですが、本当の意味でもそう思います。
20年以上前のある日、仕事もできてクレイジーな(笑)、パレルモのレオルーカ・オルランド市長(当時および現職)から、真夜中に電話で「ジョヴァンニ、チェロを持ってちょっと来てくれないか?」と呼び出されました。向かった先はスパシモ教会*1。この教会は、スペイン統治時代には壁を塗って見えないように隠されていたことから、長らくその存在が知られていませんでした。市長は、屋根がなく素晴らしい空間の広がるこの教会を修復するという話を聞かせてくれました。
*1)スパシモ教会:正式名称はサンタ・マリア・デッロ・スパシモ教会。パレルモのカルサ地区にある1509年に建てられたこの教会は、スペイン支配時代の1536年にパレルモ防衛のために周りに砦が建設されることとなり、教会としての機能が失われた。1600年代には劇場、伝染病の隔離病院、穀物倉庫として転用され、生活保護者の救貧院や病院として使用された歴史を持っている。
ソッリマさんの盟友、マリオ・ブルネロさんのアルバム『Odusia』に収録された「スパシモ*2」は・・・
そうです。1995年に作曲した「スパシモ」は、この教会の修復完成記念のために作曲しました。スパシモ教会は、バロック時代のブロンクスのようにかつては荒れ果てていた場所でした。それが修復を経て求心力を持ち、まるで磁石のようにいろいろなものを集めるようになりました。今では音楽や演劇、ダンスなどが上演される、常に新しいものが見つかり生まれてくる場へと変貌を遂げたのです。
*2)スパシモ:ソッリマと同門(アントニオ・ヤニグロ門下)のチェリスト、マリオ・ブルネロが2008年にリリースしたアルバム『Odusia(オドゥシア)』に収録された、6曲から成る作品です。『オドゥシア』は、古代ギリシャの長編叙事詩『オデユッセイア』のこと。ブルネロは英雄オデュッセウスの長い放浪、冒険の旅の話を長い音楽の旅と捉え、「スパシモ」ほかトルコ民謡、ヘブライの歌、即興演奏などから成る多彩な音楽を録音した。
ソッリマさんは200年前から続く音楽家の家系に生まれ、とても好奇心旺盛なお子さんだったそうですね。ご自宅にはさまざまな楽器があったと伺いましたが、なぜチェロを選ばれたのでしょうか?
チェロは、生まれた頃からずっと家にあった楽器でした。初めてチェリストの演奏を聴いたのは、確か、父*3が家で誰かとデュオで弾いているのを聴いた時だったように思います。チェロの音がまるで誰かの声のように聴こえたんです。ふつうは生まれて初めて聴く声は母親や父親の声だったりしますよね。私の場合は両親の声に加えて「チェロの声」が聴こえていたんだと思います。
*3)父:作曲家でピアニストのエリオドロ・ソッリマ(1926-2000)
そういえば、ソッリマさんが演奏されるチェロの低音の深い響きとお声がとても似てますね。
チェロは私にとって歌の先生だったのかもしれませんね(笑)。
パレルモ音楽院を16歳で卒業したソッリマさんは、ドイツのシュトゥットガルト音楽大学とザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学に進学し、そこで世界的チェリストのアントニオ・ヤニグロ、作曲をミルコ・ケレメンに師事しました。その後、ニューヨークにも向かわれましたね。そこで大きな影響を受けた人物が・・・
photo by Masataka Ishida
フィリップ・グラス*4(1937- )ですね。彼は、自分にとって音楽上での父親のような存在だと思います。フィリップとは面白い出会い方をしました。ある日、パレルモの自宅にいた時になった電話に出ると「ハロー、フィリップ・グラスですが・・・。」「嘘でしょ?」(いたずら電話だと思って、すぐに電話を切る)というようなやり取りがあった後に、3回目にしてようやく本人だとわかって電話に出たという・・・(笑)。実は、誰かが私の録音をフィリップに渡していたらしく、彼は私の音楽をとても気に入ってくれたようでした。「繰り返しや反復、ループ的なものが用いられてはいるけれども、君の音楽はミニマル・ミュージック*5も違うね」と言っていました。
当時、私は北アフリカやインドの音楽が好きだったので、もしかしたらそれらの影響を受けていたのかもしれません。さらに「私は君の音楽が大好きだよ。君の音楽は私のコピーではないし、作曲家でありながらチェリストである、まさに君のような人を探していたんだ!」とも言われました。その後、彼のマンハッタンのスタジオに行き、初めてのCD≪Aquilarco≫(1998年8月リリース/スタジオ録音盤)を録音しましたが、このアルバムをプロデュースしてくれたのがフィリップ・グラスでした。彼とは共演もしたんですよ。奨学金を得て、しばらくニューヨークに住んでいた頃*6は、マンハッタンにある彼のスタジオにほぼ1日おきに行っていました。
彼と一緒にコーヒーを飲みながらディスカッションしたり、素晴らしい録音エンジニアのいるそのスタジオを使わせてもらったりするなど、本当にたくさんのことを教わりました。CDを作った時も、「OK、ジョヴァンニ。イタリア人のようにこれはどうのこうのと延々と話さないで、アメリカ風に『これが世界で最高なんだ!』と言った方がいいぞ。」とアドバイスをしてくれて。それを真似してアメリカのエージェントに言ったら、なんと1週間後にカーネギーホールの公演が決まるという・・・(笑)。
*4)フィリップ・グラス:ジャンルを超えて活躍する現代アメリカを代表する作曲家。デヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノ、ミック・ジャガーらとの親交もあり、現代音楽とポップ・ミュージックの架け橋的な存在として幅広い世代の高感度な聴衆の支持を集めている。
*5)ミニマル・ミュージック:最小限に抑えた音型(旋律やリズムパターン)の反復を継続し、発展させていく音楽。後世に誕生したテクノやハウスをはじめとするダンスミュージックやエレクトロニカなどにも影響を与えている。
*6)ニューヨークに住んでいた頃:1997年から98年にかけての6か月間
フィリップ・グラスとの出会いによって、ソッリマさんの人生が新しい方向に動き出したような印象を受けます。まるで、太陽の光を受けて虹色の光を放つようなプリズマのように、光り輝き始めたような・・・
フィリップ・グラスは、私にとって光のような存在で、極めて寛容で知性あふれる人です。私と彼は多様な音楽言語が好きだ、というところが似ています。彼は、クラシック音楽だけを演奏する音楽家ではなく、作曲家であり即興演奏もする、そういう私のことを理解してくれた初めての人でした。
アメリカで出会われた、もう一人の人は・・・
ヨーヨー・マ(1955- )ですね。彼とも共演しましたよ。彼からは「君にはいったい何本の指があるの?」と尋ねられました。私が昼間にバッハの無伴奏チェロ組曲を演奏し、同じ日の夜に自分のメタル・バンドで演奏していたということに彼は驚き、ショックを受けているようでしたね(笑)。
ソッリマさんは、チェロ1本でバロックから民俗音楽、現代音楽、ロックまでさまざまな時代の、さまざまな音楽を演奏されますから、ヨーヨー・マさんが驚くのも無理はないでしょう(笑)。
私はチェロで音楽を旅するんです。音楽のGoogle Mapsとでも言うのかな(笑)。実際に世界中のいろいろなところを旅します。旅に出た時に1日でもオフがあれば、例えば地元の美味しいものを食べに行ったり美術館に行ったりするなど、選択肢はいくつかありますよね。でも私は旅に出ると、ふつうに町を歩いていて見えるもの、聞こえるもの―それらをノートにどんどん書きとめていくのが好きなんです。これらはいわば“曲の断片”といったところでしょうか。これらをしばらく時間が経ってから見直してみると、必ず発見があるのです。そうやって曲を書いてきました。
例えばオーストラリアでは、北の方にあるアボリジニの住む所に36時間かけて車を運転して行ったことがあります。「なぜそんなに危ない所に行くの?」と言ってくる人もいたけれど、この時私は、たくさんの音楽をお土産に持ち帰ったんですよ。
2020年の来日は、チェロ1本でのリサイタル・ツアーになりますね。ソッリマさんの無伴奏リサイタルと言えば、バロック音楽からロック、メタル、自作曲を視野に入れた“BA-ROCK”、バロック音楽に地中海諸国や近隣の東欧などの民俗音楽と自作曲を組み合わせた”FOLK CELLO”など、伝統的なクラシック音楽におコンテンポラリーな音楽、民俗音楽が(「100チェロ」のように)自由に平和に、自然に馴染んでいるプログラムを思い浮かべたのですが、今回の日本ツアーでは、どのようなプログラムをお考えでしょうか。
“FOLK CELLO”で取り上げているような南イタリアやシチリア島に伝わる民俗音楽とバロック音楽、それにヨハン・ゼバスティアン・バッハの無伴奏チェロ組曲、自作曲などコンテンポラリーなものを組み合わせたプログラムがいいんじゃないかな、と考えています。
さまざまな顔を持っているソッリマさんですが、もし100年後の百科事典にご自身が載っているとしたら、どんな風に書かれたいですか?
“好奇心のある奴(a curious man)”って書かれていたら嬉しいね(笑)。
ご自身のチェロで、世の中の何か一つだけを変えられるとしたら?
自分一人では何も変えることはできません。他の人と一緒になって、あらゆる人たちに音楽の持つパワーやインスピレーションを伝えられたらいいなと思います。私は政治家ではないし、政治家になろうとも思わないけれど、言葉のレトリックを使わずに音楽を通じて力強いメッセージを届けたい―そう思っています。
今日はありがとうございました。5月の公演を楽しみにしています。
インタビュアー:大塚真実(当財団音楽企画員)
通訳:丸山京子/協力:株式会社プランクトン