Interview 金川真弓(ヴァイオリン)

公開日 2022年11月18日

Interview 金川真弓(ヴァイオリン)
 
──金川さんにお目にかかるのは今回が三度目ですが、今日のようにお話しをじっくりとお伺いするのは初めてですね。どうぞよろしくお願いいたします。
金川さんの演奏はそれまでYouTubeを通して聴かせていただいていましたが、生演奏に初めて接することが叶ったのは、2021年の武蔵野市でのリサイタルでした。この時、最初の1音を耳にした瞬間に、ハートをガッチリ掴まれたんです。これはぜひ風のホールでも演奏していただく機会を作らねばと即決した次第でした。

ありがとうございます。

 

ヴァイオリンとの出会い

──金川さんはご両親揃って楽器を演奏されると伺っていますが、ヴァイオリンを始めたいと思われたきっかけをお聞かせいただけますか。

父はヴァイオリン、母はピアノを弾きます。夜は両親が練習をしていたりしましたので、幼い頃からいつも音楽が私のそばにある、そんな環境で育ちました。とはいえ、自分から積極的に何か楽器を弾きたいと言ったわけではなくて、3歳か4歳くらいの時にピアノを母に習い始めて、その1年後くらいに自然な流れでヴァイオリンに移っていったという感じです。ヴァイオリンを始めたらピアノはやめてしまいました(笑)。

──ヴァイオリンを習われる方は、最初のうちはピアノも並行してレッスンを受けていらっしゃるイメージでしたが・・・

そうですね。実は今になって後悔しているんです。コンサートのためにというわけではないのですが、もう少しピアノが弾けたならば、ピアノの楽譜やオーケストラのスコアを読んで弾くのにもっと楽だろうな、と思うんです。ヴァイオリンは一音一音、単旋律しか弾けませんので。ピアノが弾ければ和音をもっと速く読めるし、続けていれば良かったなあと思います。

──そうなんですね。ピアノではなくヴァイオリンに絞ったのは?

小さい時はただ習い事としてやっていた、そんな感じでしたね。でも、10歳くらいからどんどんヴァイオリンを好きになっていきました。弾いている曲も面白く、楽しくなってきたように思います。

楽器のレッスンを受けて勉強して練習しているというのと、この楽器で生きて食べていこうと思うのはかなり大きな違いがありますよね。音大に行くというのはつまり、もう他の科目の教育を受ける機会が高校で終わるということじゃないですか?私は学校では他の科目の授業もとても好きだったので、まだそこまでは決めたくないと思って子どもなりに迷っていました。

自分がヴァイオリンでできることに精一杯時間を費やして勉強し『プロの音楽家になりたい』と思うようになったのは15歳か16歳の頃です。ヴァイオリンと音楽の勉強を通して得たものは、私の中では明日弾き終わってもなくなりません。これまで出会った人も勉強した芸術も同様に。だから、死ぬまでヴァイオリンを弾かなければ駄目だとは全く思っていません。私が年老いてどのような外見になったとしても、どのような人生を送ったとしても、音楽はいつも私の人生の一部である―これは一生変わることのない事実です。

──音楽は金川さんの血となり肉となっている、ということですね。

そうですね。

──10代の頃はさまざまなものを体験して、たくさんの刺激を受ける時期でもありますよね。例えばヴァイオリン以外の何かにちょっとでも浮気をしてしまった…そんなことはありましたか?

ヴァイオリン以外の何かに浮気した、ということはありませんでしたね(笑)。

でも今になって思うのは、一番大切なのは学校の科目より先生で、好きだった科目=好きだった先生なんですよね。高校の時に数学の素晴らしい先生方に恵まれたので、私は今でも数学が大好きです。私自身の性格もあるかもしれないのですが、物を整理したりシステムを組み立てたり、物の仕組みを理解するのが好きなんですよね、分析をするとか・・・(笑)。私はそういうタイプなので、だから数学が好きなのかもしれません。

──金川さんは日本でヴァイオリンを始められましたが、その後すぐにご家族で渡米されましたよね。音楽教育も学校教育も日本とアメリカでは大きな違いがあるとお察ししますが、その影響はどのように感じてこられましたか?

同じ人生を2回試せないので比べることはできませんが、ヴァイオリンの教育も公立の学校教育もアメリカと日本では随分違っていたので大いに影響を受けたと思います。日本では幼い頃に名倉淑子先生に、5歳でニューヨークに引っ越してからは川崎雅夫先生に師事しました。日本とアメリカの両方の音楽教育の影響は大いにあると思いますが、両親と先生方とコミュニケーションを取っていましたので、特に問題は感じていなかったように思います。

幼稚園は日本でも通っていました。日本では、真っすぐな線のように皆で揃って廊下を歩いたり、4歳や5歳でとても幼いのに、大きなテーブルを8人くらいで協力して持ち上げて部屋の中に移動させたり、ということが子どもでも問題なくできていたのに、アメリカに行ったら皆うるさいし、誰も静かに先生の言うことを聞かない(笑)。絵を描く授業などもぐっちゃぐちゃで、もう私なんか全部綺麗に塗れるので、皆に凄く感心されたんですけどね(笑)。

 

アメリカからヨーロッパへ -ブラッハー先生との出会い、カルチャーショックも楽しみながらの音楽修行

──ニューヨークにお住まいの頃はジュリアード音楽院のプレカレッジに通っていらっしゃいましたよね。ですが、ジュリアード音楽院ではなく、ドイツで勉強することを決められました。

プレカレッジは12歳まで数年間行っており、その後、ベルリンに行く前に父の仕事で西海岸のカリフォルニア州、ロサンゼルスに引っ越すことになりました。

──それはもう全然キャラクターの違う所ですね。

はい(笑)。ニューヨークとロサンゼルスはどれだけ距離が離れていても、ポリティカルには似たようなものですが、天気も全く違うし、同じアメリカとはいえ凄く違う所に引っ越したんだなあと思いました。

アメリカの音大も高校卒業後の進路の選択肢の一つとして考えたのですが、まずものすごくお金がかかるんですね。それに、マスタークラスなどを通してヨーロッパで学ぶことを考えるようになりました。両親がクラシック音楽を演奏しますし、私は生まれた時からしばらくヨーロッパに住んでいました。ヨーロッパはもともとクラシック音楽が始まった所ですし勉強するのにもアメリカに比べたら余程お金がかからない(笑)。私は言葉を習うのも好きなので、新しい言葉を習うには若い時の方が楽だし…という理由で、両親からの提案もあり、まず11年生の時にイギリスの講習会に参加しました。少し年上の人たちがどんなところで勉強しているのか、どんな先生がいるのかと情報収集をするような感じでしたね。その講習会では、ドイツの音大のレベルが非常に高く環境もいい、国際的で留学生もたくさんいるし皆オープンだ、と参加者同士が話していました。そして、ベルリンのハンス・アイスラー(音楽大学)が弦楽器にはとても良い学校だとも聞いたので、オーディションを受けることにしたんです。すると、ブラッハー先生(コリヤ・ブラッハー/元ベルリン・フィル第一コンサートマスター)が生徒に取ってくださいました。

──2019年のチャイコフスキー国際コンクールに4位入賞された際、ブラッハー先生は金川さんについて、そしてその演奏について心からの賛辞の言葉をエンタメ特化型情報メディア「スパイス」に寄せていらっしゃいました。ブラッハー先生のことは受験前からご存じでいらっしゃったのですか?

実は先生のことを私はほとんど知らなかったんです。それでいくつか映像も見て、改めて凄い方だなと思いました。

ブラッハー先生はベルリン・フィルをお辞めになった後も10年間、クラウディオ・アバドのもとで、毎夏ルツェルン(ルツェルン祝祭管弦楽団)で演奏なさっていました。ただ、どれだけ良い先生でもお会いしてみないと自分との相性はわからないですよね?実際に先生にお会いできて、とても良かったです。

──ベルリンでの新生活が始まった頃はいかがでしたか?

ニューヨークからの移動距離に比べると、ロサンゼルスからベルリンは物凄く遠いので、まずはどんな人がいるのかを知ることも当時はとても大変でしたね(笑)。

それに・・・ロサンゼルスに住んでいた5年間で一度も冬を経験していなかったので、引っ越して1年目は、それはもう大ショックで少しうつ状態になったんですよ(笑)。でも、後になるまでそれがうつ状態だったのかなんてわからなかったですね(笑)。ロサンゼルスは毎日晴天で、一年を通じて2週間くらいしか雨が降らないし、砂漠もありますからね。

──ベルリンの冬の寒さは、ニューヨークとは比べものにならないくらいですか?

幼い頃に過ごしたニューヨークの冬は、大人の腰の高さ位まで雪が降ったそうです。とても寒かったとはいえ、ベルリンほど日が短くはなかったですね。ベルリンの冬は日が短い上にお日様が出ているはずなのに曇っているので本当にいつも暗いんです。私が毎回ベルリンの冬について文句ばかり言うので、ブラッハー先生は聞き飽きたのではないでしょうか(笑)。ある日先生に「もうやってられない!」と言ったら、「それならソラリウムに行ったら?」と提案されたんです。「ソラリウムって何ですか?」と尋ねると、タンニング・サロン(日焼けサロン)のことで(笑)。ドイツ人って、ビタミンDを摂取するために日焼けをするんだ、と驚きました。

──それは初めて聞きました(笑)。

私が言いたかったのはそういうことじゃなかったんですけどね(笑)。実際、今も冬になると私はビタミンDのサプリメントを飲んでいますが、ベルリンはここ5年くらい温暖化の影響からなのか、冬でもほとんど雪が降らないですね。

──ベルリンでの大学生活はいかがでしたか。

それこそロサンゼルスからの移住でしたので、さまざまな場面でカルチャーショックを受けることが多かったですね。アメリカの大学は高額な学費を払う分、毎日プログラムがフルタイムにあって、朝から晩までぎっしりとスケジュールが組み込まれているんです。授業もいっぱいあるし、ソーシャル・アクティヴィティ(社会的活動)やパーティ、学校が計画したイベント等で毎日忙しく、人と知り合う機会が数多くあります。一方、ドイツの公立の大学は週に1回の授業で、最後の試験に来たら別に授業は1回も来なくていいよ、みたいな感じで、もう皆ほったらかし(笑)。

──ハンス・アイスラー(音楽大学)は旧東ベルリンのミッテ地区の大学ですね。

もう建物もどんよりした、灰色と黄緑の学校で(笑)。どうもこの黄緑、というかライムグリーンは、もともと東ドイツが大好きな色だったみたいで、旧東ドイツの小さな村に行くと、たまに全部その色の家が建ってたりするんです。

入学当初はいろいろ大変でしたが、ドイツ語のクラスでたくさんの良い友達ができて、皆で一緒にコンサートに行ったり、ベルリンの新しい街を歩き回ったりしました。学生券だと何から何まで本当に安いので、あまりお金のことを考えずにいろいろなことを街の中で楽しむことができました。コンサートも次々といろいろな演奏家が来るし、値段も高くないので、そういう意味では非常に快適な環境で学べたと思っています。

──ブラッハー先生のレッスンを通して印象に残ったこと、影響を受けたことは?

「効率の良さ」ですね(笑)。私自身リサイタルや室内楽のリハーサルをリードしたり、オーケストラとのリハーサルに加えて教える機会もあったりするのですが、ブラッハー先生はそういう時に演奏を1回聴くだけで全てを把握し、相手にどのように伝えればより良い結果を手早く導くことができるかをすべて理解しながら、頭の中でマークしながら聴いて、それらをてきぱきと指示するんです。もちろんそれが一番いいやり方というわけではありませんし、さまざまな角度から見て、もっと一か所にたくさんの時間をかけてレッスンするというやり方の方がもっとパーマネント(永続的)に体になじむという場合もありますが、私は先生の教え方に接することができてどれだけ良かったか、と感じます。

──瞬時に状況を把握して細かく丁寧に分析し、相手にとってベストな解を提示する。数学がお好きだと仰っていたことに通じますね!だから金川さんはブラッハー先生との相性がとても良かったのでしょう。

そうです!!(笑)足し算だってさまざまなやり方があって、一番シンプルで綺麗なやり方を探すわけじゃないですか(笑)。

──美しくシンプルなやり方で解を導けた時に嬉しかったりしますよね。そんなやりとりがレッスンの中で行われていたのですね。

はい(笑)。

 

コロナ禍での学生と演奏活動

──コロナ禍での学生と演奏活動の両立は、本当に大変だったのではと思いますが・・・

音大は、7月に卒業しました。大学の4年間、大学院の2年間の上にさらにコンツェルトエグザメン(Konzertexamen 国家演奏家資格課程)という課程があります。アメリカだとアーティスト・ディプロマとか、修士課程や博士課程などがありますが、ドイツの音楽大学はマスターの後はコンツェルトエグザメンしかなく、それも2年間なんですけど、コロナでちょっと長くなって、やっとこの間終わりました。

このコンツェルトエグザメンというのは、実際はレッスン以外何もしなくてよい課程なんです。ドイツでは学生でいると良いことしかありませんので私もその恩恵にあやかっていました。

──たくさん学んで吸収し、あとは将来の芸術文化のために頑張ってくださいね、ということですね(笑)。

そういうことですね(笑)。昨年や一昨年、ドイツは日本に比べてロックダウンがずっと長く続いていたので、その間に日本で演奏ができたのは幸運で有り難いことでした。ベルリンにいたら演奏できる機会すらなかったので、入国後の隔離期間があってもコンサートができたのはとても嬉しかったです。

ドイツで最初のロックダウンが行われた時は、ひたすら家にいました。お店も閉まってしまう中、唯一スーパーだけは開いていたので、毎日スーパーに行くのが楽しみでした。限られた友達とは直に会って一緒に弾くなどしていました。

──仲間たちと好きな時に顔を合わせて音を出す日常が、コロナ禍で一変しました。一時期よりは収まったように見えるとはいえ、まだまだ新型コロナウイルスの影響は続いていますが、このパンデミックを経験してどのようなことを感じられましたか。

目まぐるしい忙しさというのは当たり前のことではない、ということをとても感じました。忙しすぎても「これが普通なのではない」と考えることができるようになりましたし、頑張る時期は頑張る、そうやってやることがあるということは嬉しいことだと実感できます。以前は周りがいつも忙しく見えると、自分も何かしてないと、となんかせかされるっていうか、外からのプレッシャーをいつも自分で感じていました。ここまで徹底的に全てが一斉に止まるというのは皆が人生で経験できることではないと思います。しかし、実際それで止まったとしても人生は続くわけですから。皆が忙しくても自分が忙しくない、そんな時期があっても別に気にすることではない。それは皆ぐるぐる回るわけで、その時間も大切ですし、その間にいろいろしたいこととかすることとか、そういうのもコロナの間にいろいろ見つかったので(笑)、そういう意味で、何かのプレッシャーが減りました。

──コロナ禍で、日本のオーケストラの協演ソリストの来日が次々とキャンセルされる中、日本のオーケストラ公演において、金川さんが当初予定されたソリストに代わりご出演されることもありました。急遽代役を引き受けてご出演されたコンサートにまつわるエピソードがあれば、教えていただけますでしょうか。

オーケストラとの協演ではありませんが、代役で出演した公演の中でも、サントリーホールのサマーフェスティバルで演奏したメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」はずっと弾きたくて、弾けることになってすごく嬉しかった作品です。それこそ、ドイツで弾く予定だったのがコロナで実現できなかったかわりに日本で弾けたので。

──ところで、少しお話を変えて、金川さんのInstagram(@mayumikanagawa)について伺ってもよろしいでしょうか。金川さんのInstagramはヴァイオリンに関する投稿が中心となっていますが、日々のヴァイオリンのトレーニングのみならず、運動されている動画もありますね。例えばヴァイオリンから離れた時に夢中になってやっていることなどはありますか?

私は全体的にいろいろなことを広く浅くやるんですね。ヴァイオリンは常にとても深くインヴォルヴして(関わって)いるので、他のものはすごく夢中になるというより、いろいろな物事を少しずつ試すのが楽しいんです(笑)。時々外国語も習ったり、運動も特に走るのが好きだというわけではなくても、ベルリンでランニンググループを見つけて、そこに水曜日に行ったりしています。80人程のグループで、ただ街中を10キロ走るんです。2キロごとにBrandenburger Tor(ブランデンブルク門)やHaus der Kulturen der Welt(世界文化の家)などや大きな広場でずっと音楽をかけて何か大きい広場でずっと音楽をかけてパートナーを組んで運動をしたり、天井から吊り下げられた布などを使ってアクロバティックなエクササイズのレッスンに行ってみたり、いろいろしているんですけど(笑)。この間はロッククライミングにも行きました!

──仰るとおりいろいろなことをトライされてますね。

とはいえ、絶対に指には気を付けないといけませんからね。強く握ったりすることにはかなり気を付けています。昔は旅をするとすぐ翌日に筋肉痛になっていたんですね。コンサートで弾く時に緊張し、夜冷えるから腕が痛くなるのではないかと疑っていたんですが、実際はスーツケースが重くて、それで筋肉痛になっていたことに気づきました。もう少し筋力をつけないと駄目だなと思ったんです(笑)。

あと背筋とか。ヴァイオリンを弾く時は姿勢が歪むし、小さい筋肉ばかり使うので、大きい筋肉を鍛えて安定してないと絶対怪我になるんです。そういう人が私の周りにたくさんいます。

──確かに背筋、それに体幹をしっかりさせるのは大事ですよね。体を鍛え、整えるために運動も練習の一部に積極的に取り入れているんですね。

大きい筋肉を鍛えるには水泳もとても良いですね。心と体の健康を保つのは、ヴァイオリニストとして生きていく一部だと思っているので、時間を惜しまずに使っています(笑)。そうそう、ヨガもやってますしね(笑)。

 

プログラムについて

──今回のプログラムは、バロックから21世紀までの作品が網羅されています。それぞれが小規模でありながらも個性豊かで、どれもキャラクターの際立つ作品で構成されているのがとても興味深いです。また、プログラムの後半には、内外の女性作曲家の作品が並んでいますね。このような構成のプログラムを拝見するのはとても新鮮で、ぜひ、お話を伺わなければ、と思った次第です。実際、ご提案いただいたプログラムを介して初めて知ることになる作曲家や作品との出会いが金川さんのリサイタルになるという方も少なくないかもしれません。私自身も一人の聴き手として喜びを感じ、期待感が高まっています。

それはとても嬉しいです!小規模な作品がたくさん詰まっているという印象のプログラムかもしれません。冒頭のコレッリですが、今回共演するピアニストのヴィラ―(・ヴァルボネージ)が、イタリアのボローニャの近く、コレッリが生まれた町から5キロくらい離れた町の出身なんです。それで、一緒にリサイタルの曲目について話している時に、コレッリの曲を一緒に弾いたらいいんじゃない?ということになり、彼のさまざまな作品を聴いた末にこの曲を選びました。出身地から決めてしまったんです(笑)。コレッリの曲はあまり弾いたことがありませんでした。古いイタリアのヴァイオリン作品は演奏される機会が少ないとはいえ、実際にはバラエティに富んだ素晴らしい作品がたくさんあります。弾いていても明るくて、とても楽しいです。

それから、日本ではよくわかりませんが、ここ数年、ヨーロッパでは女性作曲家の作品だけで構成されるプログラムのコンサートが随分はやっています。それでアメリカの女性作曲家エイミー・ビーチ(1867-1944)のかなりロマンティックなヴァイオリン・ソナタをプログラムに入れようかなとも思ったのですが、彼女の30分を要するソナタを今やろうという感じにはまだならなくて。その分、さらにもう少し小曲を集めてみようと思いました。いろいろな作曲家の、少なくとも名前を知るだけでもと思い、どんな音楽があるのか探してみたら、意外と小曲にキャラクターの違いが際立つ、チャーミングで面白い作品があることに気付きました。その中に弾いてみたい曲がたくさん見つかったので、それらを組み合わせて最終的にプログラムを完成させました。

──バツェヴィチはピアノ曲なら聴いたことがあるのですが、恥ずかしながら今回ヴァイオリンの作品を初めて聴かせていただきます。

彼女はポーランド人で、ヴァイオリニストでした。たくさん曲を書いています。2023年1月に、彼女のヴァイオリン協奏曲をチェコで弾く予定です。

実はバツェヴィチの名前は子どもの頃から知っていました。11歳か12歳ぐらいの時に初めて親から離れて行った夏のサマーフェスティバルがありまして。オハイオ州だったんですけどね(笑)。そこでバツェヴィチの四つのヴァイオリンのための曲があって、講習会なのでヴァイオリニストはいっぱいいるわけですが、その中からたまたま選ばれた4人でこの曲を弾くことになったんです。弾いていてとても楽しくて、一緒に演奏した皆とはすごく仲良くなりました。それが彼女の作品との初めての出会いでした。

──コンサートマスターもなさっていたようですね。

それは知りませんでした。彼女が演奏した動画も少し残っているんですよ。

──そうでしたか!早速調べて見てみますね。それから、作曲家ナディア・ブーランジェの妹で若くして亡くなったリリー・ブーランジェの作品に、大島ミチルさんの「メモリーズ」…。

「メモリーズ」は、ヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンのアンコールプロジェクトで委嘱された作品ですね。グランヴァルの曲(「ボヘミエンヌ」)はたまたまYouTubeで見つけた曲なんです(笑)。他の曲を聴いていた時に、『お勧め』に出てきて試しに聴いてみたら良い曲だったので、プログラムに入れることにしました(笑)。

──選曲のきっかけも世代の違いがありますね(笑)。

ストラヴィンスキーとプロコフィエフも、どちらも少し小さい曲の集まりみたいな感じです。今回のプログラムは小さな曲が集まり過ぎて、逆に大変にならないといいな、とだけは思うんですけれども(笑)。

ストラヴィンスキーの「ディヴェルティメント」はバレエ(『妖精の接吻』)のさまざまなシーンが描写されていますし、プロコフィエフの「5つのメロディー」は小さいながらもそれぞれいろいろな雰囲気をまとった曲たちですので、楽しんでいただけるのではないかと思います。

──武蔵野でのリサイタルにおいても、金川さんは曲ごとに演奏スタイルを柔軟に変えられて、それぞれのキャラクターや魅力を巧みに引き出し、演奏中の表情も心から楽しんでいることがしっかり伝わってくることに思わずうなりっぱなしでした(笑)。何回も変身をして、多彩な人物をお一人で演じている俳優さんを彷彿とする感じというか…それをご自身も面白がってなさっている、まさにそんな印象を受けました。

そうですね(笑)。

──金川さんのリサイタルがお客様にとってこれまで聴いたことのなかった作曲家や作品に初めて触れるきっかけになり、関連する他の曲も聴いてみようと思っていただけるきっかけになるように思います。

そう思っていただけると嬉しいです。プロコフィエフ、ストラヴィンスキーの名前は知られていても、今回選んだ作品は演奏される機会があまりありません。このコンサートがきっかけで広まっていくといいなと思います。

私の経験では、聴衆にとって知らない作曲家というのはいつもモダンの(現代の)作曲家になりがちで、中には随分聴きづらい曲が多かったりするところから、未体験の知らない方々に警戒心が芽生えてしまうのではないか?と思うんです。

今回のプログラムは、モダンの作曲家によるとてもスイートでロマンティックな曲目や、聴きやすい曲目も組み合わせています。そういうところで、よく名前の知られていない作曲家や作品へのプレジャディス(偏見)や壁が少しでも下がってくれたらいいなあと思っています。

 

共演ピアニストのヴィラー・ヴァルボネージさんについて

──先ほどのお話しでも少し触れられましたが、共演者のヴァルボネージさんについて教えてください。知り合われたのはベルリンですか?

音大で知り合いました。共通の友人が多いので今でも会う機会も多く、何回か一緒に演奏したこともあります。それに彼は日本がとても好きだそうで。随分昔に日本に行ったことがあり、いつか日本に戻ってみたいと話していました。

今回のリサイタルを考えたときに、ヴィラ―と一緒に弾けるなら楽しいだろうと思い、彼にピアノをお願いしました。彼の演奏には歌心があり、同時にとても真面目で生き生きとしてるというか・・・小さいものに何かエネルギーのようなものを見つけて、それらを繊細に結び付けて音楽を大きなもの、おおらかなものにしていくんです。だから、モーツァルト等とても上手です。

──お二人の共演、とても楽しみにしています。

 

風のホールについて

──実は金川さんとの初対面は、2021年1月、イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)とアレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)の風のホールでのデュオ・リサイタルでしたね。客席で聴かれた時のホールの印象はいかがでしたか?
金川真弓

すごく良かったです。ホールの中にあるいくつもある三角形も格好良いし(笑)。木の色もとても好きですし、開放感のある明るい感じもいいですね。ファウストの演奏も全てがとても綺麗に聞こえるし、素晴らしい音響で本当に楽しかったです。

──2月のリサイタルでは、ストラディヴァリウスの「ウィルヘルミ」(1725年製・日本音楽財団貸与)で演奏してくださいます。

そうですね。この楽器で演奏させていただくのがとても楽しみです。

──それでは、最後に三鷹での初めてのリサイタルに向けて、メッセージをお願いいたします。

風のホールで演奏することを私も本当に楽しみにしています。ヴァイオリンの作品がとても好きな方にとっても、さまざまな新しい発見のできる曲があると思います。また、普段ヴァイオリンのリサイタルになじみのない方にも楽しめるプログラムだと思いますので、ぜひいろいろな方にお越しいただきたいです。


2022年9月/インタビュアー・構成:大塚真実(当財団 音楽企画員)
協力:パシフィック・コンサート・マネジメント

 
 
 

金川真弓 ヴァイオリン・リサイタル