三鷹市山本有三記念館

三鷹市山本有三記念館は、作家・山本有三が1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで家族とともに住んだ家です。有三はここで、代表作「路傍の石」や戯曲「米百俵」を執筆するとともに、自らの蔵書を利用して「ミタカ少国民文庫」を開きました。進駐軍の接収に遭い有三はやむなく転居しましたが、「三鷹は私にとって忘れがたい土地である」と語っています。

接収が解除された建物は、研究所や文庫として利用された後、1996年(平成8年)に「三鷹市山本有三記念館」として開館。現在は、山本有三の生涯と作品を紹介する施設として公開し、展覧会や朗読会などの事業を行っています。

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沿革

三鷹市山本有三記念館は、初め清田龍之助の住宅として建てられました。清田は、米エール大学院を卒業し、商社役員や大学教授も務めた人物です。1918(大正7)年に三鷹の土地を購入した清田は、1926(大正15)年12月に建物を登記して間もなくここに住所を移しました。清田が実業界を退いた後、三鷹の家は、1931(昭和6)年6月に競売に付されました。

山本有三はその頃、武蔵野村(現武蔵野市)吉祥寺に住んでいましたが、家族が増えて家が手狭になりつつあったことや、周辺に家が建て込んできたことから、執筆に適した環境を探していました。三鷹村(現三鷹市)下連雀に建つ洋館を訪れた有三は、静かな環境を気に入り購入を決意。1936(昭和11)年に土地と建物を購入し、母ナカ、妻はな、4人の子どもたちとともに移り住みました。三鷹での有三は、「路傍の石」や「米百俵」などの執筆を始め、「ミタカ少国民文庫」の開設や国語問題への取り組みなど、重要で多彩な活動を行いました。

戦中、7回に渡る空襲でも戦火を免れた三鷹の家ですが、進駐軍に接収されることとなり1946(昭和21)年11月に有三はやむなく転居。その後も有三が三鷹に戻ることはありませんでした。1951(昭和26)年に接収が解除された建物は、国立国語研究所三鷹分室として利用され、有三が、土地と建物を東京都に寄贈した後は、東京都立教育研究所三鷹分室「有三青少年文庫」として長く運営されました。1985(昭和60)年に三鷹市へ移管され、1996(平成8)年から「三鷹市山本有三記念館」として公開されています。

ボランティアガイド

土・日・休日の午後1時~午後4時に解説を行っています。事前申込は不要ですので、お気軽に声をおかけください。

ロケ地や商用撮影について

当館でお受けできるのは、山本有三の生涯や功績の紹介及び開催中の展示や催しについての取材対応、写真貸与になります。●各種申請書
ロケ地や商用撮影に関するお問い合わせは、三鷹フィルムコミッション(☎0422-40-5525)までお願いします。

お問い合わせ

三鷹市山本有三記念館
〒181-0013 東京都三鷹市下連雀2-12-27
電話 0422-42-6233 ファックス 0422-41-9827
【開館時間】午前9時30分~午後5時
【入館料】300円(20名以上の団体200円)
     ※中学生以下、障害者手帳を持参の方とその介助者、校外学習の高校生以下と引率教諭は無料です。
     ※「東京・ミュージアムぐるっとパス」をご利用いただけます。
【休館日】月曜日、年末年始(12月29日~1月4日)※ただし、月曜日が休日の場合は開館し、その翌日と翌々日休館