中村錦平(陶芸家)フェスティバルスペース

「漂ウ共同幻想体」、かくして三鷹に登場

中村 錦平(陶芸家)「漂ウ共同幻想体」

フェスティバルスペースに「芸術性を付加し、新しい環境空間を創出する」ようとの、大きな要望の依頼から始まったのでした。

そこで私は自分の全感性をチューナーとアンプにしようと考えました。それは三鷹の町やこの建築空間が発する波動のいずれにチューニング(同調)するかをさぐり、そしてそのどれをどうアンプリファイ(増幅)して求められたものにつなげるか、そうした探索の作業といえます。

いうまでもなく建築の設計図を深く読み、何度も現場にわが身を置きました。これがどの方法より、チューニング/アンプリフィケーション作業において有効なのです。当時は現場に足場やクレーンが立ちはだかって、南北60mが作りだす光の具合も、通り抜けながら感ずることも、見通すこともできず、すべてが断片的な把握で、はがゆいかぎりした。

あわせて三鷹駅の南口を降り、天候や時間帯をかえて町を歩きまわりました。この町の気配から、芸術関心度といった、全状況の中で今度の仕事でどう働きかけるかをみつけたい、そうでなければ、「三鷹固有の作品」として、根拠が弱くなると思ったからです。

この総合させての空間や時間の判断の仕方に、造り手たる私の存在意義があると思っています。この建築空間と三鷹市で知覚し、心動かされたものに、私が主題としてきた「東京焼」を重ねて同時代の表現へと展開する。それで皆さんの感性にコミュニケーションをはかりたい、できることなら揺さぶりたい、そう期してつくりました。

しいて解説っぽいことを加えれば、北側の道路から南側の公園にいたる、静かで長い空間を「野川」や「時の流れ」に見立てれるという想いを発想の段階でもちました。ヒトはそれぞれの時を生きてゆく。あたかも流れのように。その流れは、人生や社会の中で、合流、離反、同調、非同調によって彩られる。このフェスティバルスペースも、モノやコトをつないで流れてゆくに違いない、時間的にも空間的にも。

たとえばフェスティバルのとき、またコンサートに集い、エントランスロビーにたたずみ、ブリッジを渡ろうとされるとき、縁あって造った「漂ウ共同幻想体」を、ふりかえってくださいませんか。同調や非同調で、あなたの時を彩ります。

中村 錦平(陶芸家)

1935年生まれ 金沢美術工芸大学彫塑科中退
銀座「中嶋」にて魯山人の器と料理を研究後作陶。東芝、INAX等建築空間にて造形
1994年 個展「東京焼・メタセラミックスで現在をさぐる」で芸術選奨・文部大臣賞
東京焼窯元・多摩美術大学教授
東京・青山で制作