公開日 2019年03月29日
太宰治の初期の傑作である『駈込み訴え』という“一人称独白体”の小説を、
現代における群像劇に仕立て上げたいと思います。
特に、原作に沿って「それぞれの登場人物が、イエス・キリストをどう捉えていたか」を
描きながら、太宰と太宰の周囲の人々の人間模様や、
宗教や組織にまつわる問題を、自分なりに形にしていけたらと思っています。
今回、太宰治作品の中で『駈込み訴え』をモチーフに選ばれましたね。
屋代秀樹
屋代 当初は『善蔵を思う』(昭和15年)をモチーフ作品にしようと思っていました。太宰と同じ青森出身の作家「葛西善蔵」(明治20年1月16日 〜昭和3年7月23日)の小説が私は好きで、その葛西の名前が題名になっている作品であったことが、取り上げようと思った主な要因だったのですが、太宰の作品の中では少しマイナーですし、小説の中身も、葛西善蔵が主人公の小説ということでもありませんので、再考しまして、『駈込み訴え』(昭和15年)をモチーフ作品にすることにしました。かなり私小説寄りの、読み進めていけばいくほどに太宰本人をイメージさせる『道化の華』(昭和10年)や『ダス・ゲマイネ』(昭和10年)などもモチーフ作品の候補として考えたのですが、結局は太宰治作品の中で私が一番好きな小説にしようと思い、それが『駈込み訴え』だったわけです。
屋代さんが太宰治作品を読まれたのはいつ頃ですか?
屋代 まとめて読んだのは、高校3年生の頃だと思います。とにかく、愉快な作品が多いなあと思っていました。その後大学に入り、私は文学部だったのですが、同じ学部の人に「『人間失格』が好き」とか言われて「あの作品に共感する、私も同じ」みたいな感じで語られたりすると「しゃらくせえな」と思っていました。『人間失格』(昭和23年)という作品自体が嫌いなわけではなくて、あの作品はあくまで私小説風のフィクションというか、「『人間失格』わかる」という人を、太宰はきっと嫌いだろうなと。「俺のことなんかわかるわけねえだろ」みたいな。僕も今わかったような口きいているんで、太宰は俺のことも嫌いでしょうけど。
『駈込み訴え』という作品の、どういったところに魅力を感じていらっしゃいますか?
安東信助
屋代 とにかく、徹頭徹尾、愛の話だなと。先日、久しぶりに読み返してみたのですが、高校生の頃と同じように、泣きました。
沈 漫画を読んだり、演劇を観たりした時、よく泣いてますもんね。
安東 確かに泣いてるなあ。
『駈込み訴え』の、どのあたりで涙腺が弱くなるのですか?
屋代 突然「一緒に暮らそう」と言い出すあたりですね。昔も、そこで泣いた記憶があります。今回もしっかり泣きました。
安東 あそこかあ。「桃の畠もある。私の家族もいる。」とか言うところだよね。
屋代 急に提案したものの、「ほかにも人がいるから」とか言われて、普通に拒否されているんですよ。いやあ、泣けるんですよねえ。
安東さんと沈さんも『駈込み訴え』を読まれたそうですが、作品の感想はいかがですか?
沈 ゆうこ
沈 一人語りの文章なんですけど、感情が忙しい人だなあと。文字数に比べて、情報量がものすごいし、気持ちの揺れ幅が大きい大きい。でも、とても面白かったですね。
安東 僕も、沈さんと同じ感想です。
沈 (笑いながら)ずるい!被せないで!
安東 まあ、それは冗談として、実にまあ、一筆書きのように、淀みなく連なっている文章だなあと。
口述筆記による小説で、一説には、一度も詰まることなく言い立てたという話があります。
屋代 そういうのは本当かどうかわからないですけど、ただ、文章の技術はすごいなと思います。特に、熱意のようなものを、読者に感じさせる技術に関しては相当なものだなと。そういう点では、『人間失格』も結局同じなんですね。作家の技術が、読者に高熱を帯びさせるというか。そういうノリの強さが太宰治の小説家としての特長だと思うんです。
ここで少し、劇団のことについてお伺いします。『日本のラジオ』という劇団名の由来は?
屋代 僕自身、高校生の頃から戯曲を書き始め、大学に入ってからも演劇サークルにいたんです。で、そこの仲間と劇団を旗揚げした時に、お酒飲んで、ちょっといい心持ちで『日本テレビ』という劇団名にしようと思うって言ったら「やめたほうがいい」と言われて。
安東 常識ですね。
屋代 まあとにかく、ニュートラルな名前にしたいなあと思っていて、じゃあ『日本ラジオ』にしようかなとか言ってたんですけど、やがて酔いが深まるにつれて「日本ってのもいらなくない?ラジオだけで良くない?」とか言って、1回だけ『ラジオ』って劇団名で公演したんです。でも、あんまりだと思ったので『日本のラジオ』に戻しました。
安東 でも屋代さん、ラジオまったく聞かないんですよ、これが。
ラジオの深夜番組とかお好きなのかと思っていました。
屋代 聞かないですねえ。ラジオにまったく思い入れがない。だから、劇団名には、何の意味もありません。
安東さんは2年前に劇団員(構成員)になられて、そして沈さんは、劇団の前回公演が初参加で、その後、劇団員になられました。『日本のラジオ』の雰囲気はいかがですか?
沈 余計なことを言わなくていいから、楽だなと。稽古中も「それは違います」「それはやらないでください」と指示が的確なので、本当にやりやすいですね。
屋代 僕は、方向性だけしっかりと持つようにしているのですが、演技の最終形というものは持たないようにしていて、後は役者さんに演じてもらって、仮に(方向性から)ずれたらずれたで、面白く転がるならそっちでいいと思っているんです。
安東 役者がその役を掴むまで、待っていてくれるなあというのはありますね。ありがたいです。
屋代 そうなのかなあ。まあでも、ある程度まで来ると「そろそろ固めてください」とか言う時もありますけど。
安東 ありますね。でも、それを言うのが、他の演出家に比べると、結構遅いかなと。
沈 稽古中、とにかくずっと自由で、言い方は悪いけど「放置プレイ」って感じで。で、ある時「そろそろ、セリフをちゃんと言ってください」と言われて、「あっ、ある時期が来たら言うんだな。随分遅いな。でも、『そろそろ』って感じなんだな」と驚いたことがあります。でも、さっきも言ったように、とにかくやりやすいですね。
屋代 自分ではよくわからないですけどね。稽古場で、役者の演技にものすごく笑った後に「それはもう、やらないでください」とか言ったりしたこともありますし。
安東 あるなあ、ある。時々「屋代さん笑ってるけど、これきっとボツだなあ」と分かる時がある。ただの勘なんですけどね。
それでは、今回の作品についてお伺いします。どのような舞台になりそうですか?
屋代 十数年前の劇団の旗揚げ公演以来、久しぶりに、舞台美術・照明・音響のスタッフをすべて入れての公演になります。そのうえで、『駈込み訴え』という“一人称独白体”の小説を、現代における群像劇に仕立て上げていきたいと思います。特に、小説内で名前が出てくる人たちが「それぞれ、イエス・キリストを、どう捉えていたか」を描いていきながら、太宰と太宰の周囲の人々の人間模様や、宗教や組織にまつわる問題を、自分なりに形にしていけたらと思っています。
作品作りの際に、大事にしていらっしゃることはありますか?
屋代 すべての登場人物の生き方に、必ず責任を持たせて書きたいと思っています。ストーリーを成立させるためだけに都合よく登場するような人物を書かない、すなわち、その作品を成立させるための奴隷のような人物を設定しないということで、それだけは肝に命じて作品を作っています。
最後に、お客様へのメッセージをお願いします。
安東 屋代さんの脚本は、毎回、僕自身にいろいろな挑戦をさせてくれるので、今回も、また新たなチャレンジを楽しみにして、作品に向き合っていきたいと思っています。
沈 「稽古場が楽しくて、演じている役者たちが楽しいと感じている作品は、お客様にとっても楽しい舞台である」というのが私のモットーなので、それを目指して、お客様に楽しんでもらえるよう、頑張ります。
屋代 今回、せっかく「太宰治作品をモチーフにした演劇公演」を依頼されたわけですから、“元・文学オタク”としての意地をみせたいなと思います。お客様の中にも、太宰の小説に対して思い入れのある方が多いと思うので、“元・文学オタク”が、太宰の小説をどう舞台化するか見届けてほしいなと思いますし、小説は読むけれど、演劇はあまり観ないという人の心を鷲掴みするような、作家としての意地をみせたいと思っています。ぜひご覧ください。
本日はありがとうございました。
2018年12月5日 三鷹市芸術文化センターにてインタビュー