Interview アレクサンダー・クリッヒェル

公開日 2017年08月30日

アレクサンダー・クリッヒェル

三鷹に初めて登場するドイツの新鋭ピアニスト、アレクサンダー・クリッヒェルさんに、メール・インタビューを行いました。

 
ピアノを始めたきっかけについてお聞かせいただけますでしょうか。
Alexander Krichel(以下、AK) 私は子どもの頃、とても活発でエネルギーが有り余っていました。それは今でもそんなに変わりませんが…。家にはピアノがあり、母が趣味で弾いていました。ある日、サンクトペテルブルク出身のナタリア・ポグリエワ先生を探してきて私を紹介しました。彼女はドイツ語を話さず、私はロシア語を話しませんので、音楽を共通の母語のように学びました。当時、私たちは言葉でのコミュニケーションはさほどできなかったので、音楽を通じて会話したのです。このピアノの学び方は、音楽に対して隔たりというものが一切ありませんでしたから、私にとってベストな方法でした。今も昔も、音楽は私が感じるものすべてを表すための手段です。音楽は私であり、私は音楽なのです。
 
クリッヒェルさんは数学オリンピックやドイツの連邦外国語コンクール(フランス語)、生物学の分野での研究活動におけるドイツ連邦コンクールなどでも優秀な成績を残されたと伺っていますが、最終的にピアニストになろうと思ったのはいつ頃でしょうか。また、どのようなきっかけがあり、進路を定められたのでしょうか。
AK 将来やりたいことを決める時には、それぞれ異なるジャンルのものに興味を持つことが、物事を難しくすることもあります。仰るように、フランス語のコンクールのほか、数学や生物のコンクールでも賞をいただき、高校に通いながら、音楽、数学、物理を同時期に学びました。しかし、これらの活動にはすべて違いがありました。科学は非常に知的レベルでのチャレンジでしたし、語学は外国人の友人が多いのでいずれにしても必ず必要となるものでした。しかし音楽に関しては、まったく異なりました。私の心と頭との間で葛藤がありました。頭では医学を学べと言っていました。しかし音楽家になることを決めた時、私は自分の心に従うことも決心したのです。ソリストとしてのキャリアを積むことは非常に覚悟のいることではありましたが、挑戦しなければならないと知っていました。そしてこの道を選んだことに後悔はしていません!
 
クリッヒェルさんは、ロシアの名教師として知られ2011年に亡くなられたウラディーミル・クライネフさんの最後の弟子となられ、とても大きな影響を受けたと数々のインタビューで仰っていますね。その後、師事された先生も同じくロシアご出身のドミトリー・アレクセーエフさんです。それぞれの先生との出会い、印象に残っていることなどを教えていただけますでしょうか。
AK ウラディーミル・クライネフ先生とドミトリー・アレクセーエフ先生はよく似た経歴をお持ちですが、それぞれまったく違った独自のピアニストであり教授です。初めてクライネフ先生にお会いした16歳の時、ハノーファーで彼のもとで勉強するよう誘ってくれました。11歳の時に彼が演奏するプロコフィエフのピアノ協奏曲を聴いて以来、彼は私の“ピアノの神様”でしたから、もちろんその誘いを受けて先生のクラスに申し込みました。ハノーファー音楽演劇大学の入学試験には高いレベルを目指す若いピアニストが何百人とやってきて、その中から10人が入れるかどうかという狭き門でしたから、ほとんど不可能のように思えました。しかし蓋を開けてみれば最優秀の成績で合格することができ、私の自信にも繋がりました。クライネフ先生に関して言えば、本当に骨が折れるほどとても厳しい先生であり、他の生徒たちに対してもそうでした。しかし、その厳しさは私がまさに求めていたものであり、今はそのおかげで自分自身が強くあるのだと思います。ピアノでどのように歌うか、ステージにどのように自信をもって臨むか、が私の心に灯した炎は、いつも燃え続けています。彼が亡くなってから、私はもう一人の偉大なるロシアのピアニスト、ドミトリー・アレクセーエフ先生の下で学び始めました。彼から影響を受け、クライネフ先生から焚きつけられたこの炎をどのようにコントロールするかを教えてもらいました。アレクセーエフ先生はとても洗練されたピアニストであり、演奏する時には考えすぎることなく、何を実際にしているかということをいつも理解している人です。彼は心と共に思考しますが、これこそ、私が心から尊敬することなのです!
 
2013年エコー・クラシック賞「ニューカマー・オブ・ジ・イヤー」受賞記念の演奏の映像を拝見し、Sony Classicalからのデビュー・アルバム『春の歌〜ドイツ・ロマン派名曲集』を聴かせていただきました。知的にコントロールされながら、とてもエモーショナルで、歌心あふれる演奏に心打たれました。作曲家の思いを手繰り寄せ、作品の世界観、情景を丁寧に紡ごうという真摯な姿勢とパッションに共感を覚え、ぜひ、三鷹で演奏していただければと思いました。この受賞はご自身にどのような影響を与えましたか。
AK そのようにお褒めいただき、ありがとうございます!私がステージ上で伝えたいことを皆さんに感じていただけるのは、たとえそれがビデオであっても、本当に嬉しいです。作曲家が私たちに授けたものを皆さんに届け、皆さんの心に触れることこそが、芸術家にとって絶対的に必要なものだと思います。賞というのは確かに素晴らしく、確証を与えてくれるものです。しかし、それによって自己に影響を及ぼされたり、自分自身を変えたりしてはならないと思います。私は、エコー・クラシック賞を受賞する前も今も、同じ芸術家です。もしかすると、私たちは皆、常に進歩していますから、まったく同じではないかもしれませんが、私は賞がなくとも同じような芸術的進歩を遂げることができたと確信しています。芸術と演奏というものは、自分自身を知ることであり、演奏する作品と作曲家を知ることであり、聴衆の皆さんにそれぞれの忠実なストーリーを伝えることです。音楽家は、自分たちが成しえたことに決して満足することなく、絶えずそのように努めなければならなりません。たとえどれだけ多くの賞を受賞したとしても、理想は遥かに遠いものであり、それは私たちすべてに共通することなのです!
 
今回のリサイタルでは、最新アルバム『ラヴェル:ピアノ作品集』にも収録され、高度なテクニックを要する難曲としても知られる『夜のガスパール』を中心に、ラヴェルと関係の深い二人の作曲家の代表的な作品を選ばれています。プログラムの構成、聴きどころについてお聞かせください。
AK モーリス・ラヴェルは、2017年に私が取り組む中心的存在です。このミステリアスな人物が一体どういう人なのかを知りたくて、全曲ラヴェルのCDもリリースしました。ラヴェルについてはあまり多く知られておらず、彼の作品もあまりに多彩で、彼という人間を絞り込むことができないのです。ラヴェルの作品はとても感情的である一方、非常に知的でもあります。自然の美しさや死と関係するものが多く、色調は目が眩むほどの明るい色から、どこまでも暗い闇のような黒まで表現しているように思えます。いったいどうやってそれだけの幅を持った印象や感情を作り出すことができるのか?彼にささげるアルバムを作ろうと考えたときに、自問しました。ムソルグスキーとラヴェルの間にはとても強い繋がりがあります。ラヴェルはムソルグスキーのもっとも有名な『展覧会の絵』をオーケストラ版に編曲しました。今回、三鷹ではこの曲を演奏します。また、『夜のガスパール』と『展覧会の絵』はともに、私たちが内に秘めている感情に対峙する旅なのです。ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」は彼のもっとも有名な作品であり、前述の2曲とまったく異なったキャラクターを持っています。この二人の関係は、ガーシュウィンはラヴェルに作曲を学びたかったのですが、彼を生徒として迎えることを受け入れませんでした。ラヴェルの有名な言葉に次のようなものがあります。「既にガーシュウィンは一流なのに、どうして二流のラヴェルになる必要があるでしょうか」。
 
今回取り上げる三人の作曲家(ガーシュウィン、ラヴェル、ムソルグスキー)について、どのような印象をお持ちでしょうか。
AK  既に述べたように、ラヴェルがどういう人物であったかというのを説明するのは難しいです。彼はとても親しみやすい人だったと思いますが、彼を取り巻く人に対してあまり素直な性格ではなかったのではないかと思います。彼のように知的で信頼に足る人が、周りの人に自分が何をすべきか物言わせていたとは思えないのです。先ほど引用したことがそれらを示しています。ムソルグスキーは知的というよりは感情豊かな人で、真実への知的探求というよりは、音楽を人々とのコミュニケーションの手段として捉えていました。ガーシュウィンの音楽は概して、よりポジティヴで“より明るく”、ムソルグスキーとはまったく違うスタイルでもありました。彼はミュージカルの作曲家でもあり、それが‟クラシック音楽の作曲家“であった彼に変化をもたらしたのは間違いないでしょう。ラヴェルもジャズ風のハーモニーを使いますが、ガーシュインの音楽はよりいっそうジャジーです。
 
ここで少しだけ、ピアノから離れたお話を伺ってもよろしいでしょうか。クリッヒェルさんのお生まれは北ドイツのハンブルク、そして、現在拠点とされているのはロンドンですね。それぞれの街の好きなところを教えていただけますか。
AK どちらも素晴らしい街です。ハンブルクで生まれ育ったことは、自分にとってとても良かったと思います。ドイツ語圏(ドイツ、オーストリア、スイス)の中では二番目に大きな街であり、ハンザ同盟の港湾都市ですから、固有の国際的な適性が育てられます。世界中の主要新聞で取り上げられている新しいコンサートホールの『エルプフィルハーモニー・ハンブルク』を誇らしく思います。ロンドンは最も活気に満ちた街の一つであり、芸術家にとっては住むのに最高の場所です。いつも素晴らしい展覧会、コンサート、演劇などにあふれています。そしてロンドンの王立音楽大学で学べたことは大変貴重な経験でしたし、おもしろくて刺激的な人々や音楽家たちと出会うことができました。
 
演奏活動で多忙を極める毎日を送っていらっしゃることと思いますが、練習や息抜きのバランスをどのようにとられていますか。 また、オフの時はどのように過ごされているのでしょうか。
AK 練習と休憩のバランスを保つのは、時に困難を伴います。特にたくさんの異なるリサイタル・プログラムや協奏曲を短時間でこなさなければならない時はなおさらです。ピアニストのレパートリーは膨大で、異なる作品や作曲家を学び知ることは私たちの目指すゴールでもあります。いつもは、ツアーに出ていない時には普通の生活を心がけています。音楽家の友人はあまり多くなく、ほとんどが法律家や実業家、建築家、医者をしています。そのおかげで、簡単にスイッチオフができます。もちろんお互いに仕事の話や普段何をしているかという話はしますが、私が音楽の話をしても彼らは専門家ではありませんので、話題はより一般的な方向へ向かいます。こういうことが、とても大事なのだと思います。


日々の生活の中で、ご自身の音楽にインスピレーションを与えるものは?
AK そのご質問自体に、まさに私の答えがあります。日々の生活です!人生の中に起きるすべてのことがインスピレーションになるのです。出会う人、見る展覧会、はたまた犬と散歩をするときに目に入るものや、良い本。本当に単純なことです。そして、それこそが音楽の素晴らしさであり、音楽と芸術は人生そのものなのです!
 
今後、どのようなことに挑戦していきたいとお考えですか?
AK 音楽家としての人生は常にチャレンジであり、新しい曲、新しいオーケストラ、新しい指揮者、そして新しい街と新しい文化を知るということです。すべての演奏が、ある意味、常に新しいチャレンジである必要があると思っています。今年、初めてメキシコやセビリアで演奏できることにワクワクしていますし、日本へは今回が5度目となりますが、また訪れることができるのを心から楽しみにしています。
 
最後に、お客さまへのメッセージをお願いします。
AK 三鷹市芸術文化センターでは、私にとってとても大事なプログラムをお届けします。すべての曲がそれぞれと繋がっており、私がなぜこれらの曲を選んだのか、そしてそこにどんなに特別なものを見つけたかということを、皆さんにお伝えできればと思っています。 今回初めて三鷹で演奏させていただけること、今から待ちきれません!
 
12月のリサイタルまで待ち遠しいです。本日はどうもありがとうございました。

          

協力:株式会社パシフィック・コンサート・マネジメント
(インタビュー:音楽企画員 大塚真実)

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